私の一人暮らしは、ヘルパーに看護師に24時間誰かがいる山あり谷ありの毎日。
在宅生活での人々との出会い、日々の小さな温かさ、身近な暮らしを発信していきます。

01/27.28.通夜式、葬儀


1週間が経過した。
覚えとして記録して置くこととする。
朝から、栄養、洗面、着替え、備品の準備等を済ませ、
長男として、家族代表として、できる限り参加するため、足早に葬儀場に向かった。

葬儀の決定事項は、叔母が決断してくれた。
自分で決めた事は
母親への連絡と遺影写真、装束、通夜、葬儀の挨拶ぐらい
遺影写真は当時所属していたシルバー人材センターから、四日市祭りに参加した時の写真にした。今思えば、あの時、応援に行って良かった。写真を撮っておいて良かった。

3時から湯灌、納棺が始まった。
子供の時は、怒られてばかりで、怒ってる顔しか記憶にない。しかし、今の父の顔は、優しく穏やかに今にも喋りそう。
柩に入ると車イスから顔は見られないので、しっかりと見届けた。

夜7時の通夜まで約3時間
親族は私の体調を心配している。確かに疲れも溜まっている。栄養剤の準備不足や、明日の葬儀の事もあるが、最後まで参加する事を優先した。
親族、いとこが集まってきた。30年ぶりの再会だ。
それぞれに家族を持ち、生活や環境は上向きに変化している。
変わらない自分はもどかしいね。

通夜式が始まった。
お経の最中、遺影を見て、思いを巡らせた
焼香は母と一緒にの前で真似事だけ、でも、気持ちはしっかり届いたと思う。
僧侶は命について、いろいろ言うけど、やっぱり亡くなるのは寂しい。
挨拶は胸が込み上げてきて、例文を読むのが精一杯。
その後、参列して頂いた方と話したかったけど、明朝の葬儀にも参加したかったため、足早に帰路についた。

自宅に帰ってから、片付けとできる限り準備をし、眠りについた。
朝は5時半に起きて、葬儀に向かった。葬式には、5分遅れたがなんとか到着。
位牌を胸に霊柩車まで歩いた。
ラクションと共に父が出発した。涙が止まらない
私は火葬場への移動と体力の問題で、ここで最後の別れとなった。
礼服、焼香、個別の挨拶、火葬場の事、全てに思うようにはいかない。
障害ってのは嫌だ
それでも、限りなく出席出来た事は、在宅ならではで、ヘルパーの方々にも、ただただ感謝です。