私の一人暮らしは、ヘルパーに看護師に24時間誰かがいる山あり谷ありの毎日。
在宅生活での人々との出会い、日々の小さな温かさ、身近な暮らしを発信していきます。

02/29.近鉄新型特急ひのとり。

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昨日ヘルパーさんと一緒にスーパーに買い物にその帰り道。
駅で停車していた新型特急ひのとり発見。
少し遠回りして見学に行った。
新しい物って空気が違う。

 

 

 



昨年12月外出した時津駅で座席シートの体験デモをしていた。
この車両は先頭と最後尾にあるプレミアム車両と中央のレギュラー車両に分かれている。
写真にある座席はプレミアム車両の座席だ。
特徴は前後の席を気にすることなくリクライニングができること。
窓が肘掛けの下まであってとても大きく景色がよく見えること。
快適な空間を過ごせるのではと感じた。
特急料金とは別に特別料金を払うだけの価値があると思った。
車椅子席は多目的トイレがあるレギュラー車両に2席ある。
新しい特急に乗ってどこか出かけたい。

2/25.水仙

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亀山の友人が家の庭に咲いていたからと水仙の花を頂いた。
忙しい中、アパートまで足を運んでくれたことがありがたい。
「入院していたけど体調は元に戻った??? 」
「せっかく友達になったんだから簡単に死なないでくれ。 」
「これ以上友達がいなくなると寂しくて仕方がない。」と、
声をかけてくれたのは何より嬉しかった。
自分の命は自分だけのものでないことを再確認した瞬間だった。

あれから3日が経過してさらに体調が戻ってきた。
3月は少し外出できそうだ。

近くのクリニックに入院

皆様には心配をかけてしまいました。
電話やメールで皆さんから励ましと勇気をいただきました。
おかげさまで体調が安定してきました。 感謝しています
現在自宅療養中です。

経過を報告すると。
24日に39°を超える発熱があり。 インフル(-)
27日にインフル(+)タミフル治療。
1日に近くのクリニックに入院。 点滴治療
5日退院しました。

私は常に肺炎を持っています。
これをインフルをきっかけにいろんなものが吹き出してきたのだと思います。

クリニックではインフル隔離治療のため個室でした。
ナースコールは使えず持参のブザーも使えませんでした。
2時間に一度看護師が巡回します。 普通です。
でも、この間に痰が詰まったらと思うと非常に怖かったです。
ヘルパーが対応するまでの三日間は眠れませんでした。
自分自身が我慢できずに転院希望を出しました。
そりゃあ退院になりますね。
治療は内服の抗生剤です。
しばらく体力の回復に専念します。

自分の生活を選択すること

昨年11月より日曜、月曜、火曜、と訪問看護のケアは午前中のみとなった。
体調を安定させるため、鼻の吸引や背中にマッサージ器をあてるなど試行錯誤の日々だ。
訪問看護師は柔軟なケアで対応し、発熱もなく体調を崩していない。
しかし、夜間の体位交換や車椅子の移乗で吸引回数が増えた。
日々のケアが繊細になったようだ。
せめて、月曜日は午前午後と二回ケアを受けた方がより安心だ。
現在のステーションに午前午後とケアを受ければ良いが、シフトの関係で午前しか対応できない。

1日に複数回のケアを受けるには、同一ステーションでなくてはならない。

このルールは、
現在月曜日に対応しているステーションをやめて、新しいステーションにお願いする。ということだ。

気持ちよく対応しているステーションを止めていいのか???
新しいステーションは僕のグレーな要求に臨機応変に対応できるだろうか???
祝日は対応してくれるだろうか???考えると不安は尽きない。

でも、やっぱり一日二回ケアを受けた方がいい。
いろんな気持ちが複雑に交差する。

そんな中、ネットで新規立ち上げのステーションを発見した。
ここならきっと午前午後と対応できるはず
迷ってもいいことはない、2月から新しいステーションにお願いすることにした。
自分で自分の生活を選択する。決定するのは大変だ。

二人のおじさんと七転び八起き

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新春から友達が遊びに来てくれた。
趣味の囲碁の話、家族の話、亡くなった友人の話。
彼の話はどの切り口も面白く、いつも元気で力をくれる。

彼を取り巻く環境は常に少しずつ、そして大きく変化している。
それにもめげず、夢中になれるものを頼りに、日々を乗り切る力はたくましい。
今年もどこか一緒に出かけたいものだ。

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高田本山お七夜のお土産を頂いた。
七転び八起き人形。
手足がなくてもしっかり立ち上がる。
人生このようにありたいものだ。